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福島第一原発視察

2023年6月14日に今年度1回目の福島第一原発視察を実施しました。この福島視察プロジェクトはフリーアナウンサーの大和田新氏のご協力のもと、2021年より毎年不定期で開催しています。今回は3名のCYJメンバーが参加し、異なる観点から感じた物事は多様だったようです。



【自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたこと】

私は生まれてからの大半の時間を福岡で過ごしほとんど九州から出たこともなく、また東日本大震災が起こった時は7歳だったこともあり、震災当時は爆発した上に「ほうしゃせん」という何か得体の知れないものを周辺に撒き散らしたらしい「ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょ」に対して、そして「ふくしま」に対してもただただ恐怖を覚えました。震災から12年たっても漠然と恐怖を覚え続けていたという方が正しいと思います。東日本大震災後に環境問題に興味をもち、気候変動という観点からエネルギー問題、ひいては原子力について考えることはありましたが、その時にもどこか福島の事故について考えることを避けていました。そのため、今回所属している環境NGOを通じて原発視察のお話をいただいた時、大袈裟かもしれませんが「弱い自分を変える最後のチャンスかもしれない」と思い、少し勇気を出して参加してみました。今回の原発視察を通じて、改めて感じたのは「根拠なく怖がる」という行為そのものが持つ怖さと、正しい知識を得ることの大切さです。あくまで私がみてきた範囲ですが、東京電力は福島の人々に十分な賠償責任も説明責任も果たさず、彼らを一方的に苦しめている悪者か何かのように書くメディアは一定数存在していると思います。確かに、特に東京から指示を出す東電上層部はそのような面があるのかも知れません。ですが少なくとも今回の視察でお世話になった東電の方達は、みなさん本当に被災された方々に寄り添おうと、これからの福島のために何かしようと尽力されている方々ばかりでした。大和田さんが何度かおっしゃっていた「東電という会社は嫌いだけど、そこで働いている人たちを必ずしも嫌っているのではない」という言葉も私の心に刺さりました。もしも今回実際に福島に足を踏み入れ、メディアを通さず自分の目で見て、聞いて、自分の頭で考えていなければ、これから先もずっと話したこともない東電の方々に対して負の感情を持ち続けていたのではないかと思います。これは東日本大震災当時、何の根拠もなく福島の人々を差別したのと同じくらいしてはいけない行為だと今なら断言できます。また、今回の視察の間中、ずっと「『復興』とはいったい何だろうか、12年間故郷に帰ることを望み続けてきた人々だけが戻ってこられたらそれで十分なのだろうか、一区画だけを綺麗に整えて暮らせるようにしてもそれは果たして『復興』なのか」と考えさせられました。12年前から放置されているのであろう窓ガラスは割れ物は足の踏み場もない家、2011年3月のカレンダーが壁にかけられたままのスーパー跡地、かつては夢や希望で溢れていたであろうに今は泥棒が入るのを防ぐため板が打ち付けられている高校、再建した小学校に半強制的に子供達を通わせても全員一年でやめそれまでいたコミュニティに戻って行ってしまう…… それがテレビでは報道されないであろう福島の今でした。人が戻ってきた時のための施設を建て直すことはもちろん復興への第一歩だと思います。視察前の私がそうだったように、多くの人が真新しい綺麗な建物が建てられていっているのを知り、「福島の復興は進んでいるんだ」と思っているでしょう。でもそれは「復旧」かも知れないけれど「復興」とは言えないのだと思います。本来このようなことを私が論じていいのかはわかりませんが、私は「復興」とは福島が「誰かに強制されることなく自分の意志で福島で生活を営むことを選ぶ人々がいて、もしそこから飛び出して外の世界を見に行く人がいても笑顔で送り出し、帰ってきた時には同じ笑顔で出迎え、縁もゆかりもない人々も訪れやすいあたたかな場所になること」なのだと考えました。

 今の私は知識も経験も人脈も金銭力も何もないただの大学生ですが、自分にできる、自分だけができる復興への貢献の仕方を模索していきたいと思います。


文責:中嶋彩香


【現地で学ぶことの大切さ】

現地の人の声を“聞いて”、自分の目で現状を“見て”、被災地や発電所の雰囲気を“感じて”、これからどうしていくべきかを“考える”。これらを通して「実際に現地へ行くことがいかに大切か」が分かった1日でした。

 私は震災当時8歳で、“すごく大きくて怖い地震が遠いところで起こった”という印象が強かったです。ですが正直、原子力発電所の事故に関してはあまり詳しく知らずに育ちました。中学生ぐらいの時から地球の環境問題について興味を持ち始め、エネルギー問題について考えているときに原子力発電と再会したような形です。個人的に原子力発電は今後も必要だと考えていました。主要エネルギーを化石燃料から再エネに変化させる期間において、温室効果ガスの排出が少なく、大きなエネルギーを安定して得られる原子力発電というのは、エネルギー問題の現実的に、有効な発電方法だと思うからです。しかし、原発事故によって多くの人が「怖い」「危ない」と言っているのも知っていましたし、普及に対して前向きではない風潮も感じていました。だからこそ「現地の被害や現在の状況を自分の目で見ていない状態で原子力発電の普及を考えるのは順番が違うな」と考え、視察を希望しました。そして視察を終えた今、「原子力発電を普及するべきか否か」については明確な答えを出せなかったというのが正直なところです。深刻な事故とその被害、廃炉作業の大変さ、被災地では12年経った今も全然人が戻ってきていない状況、未だに帰宅困難地域がほとんどなこと、あらゆるところに放射線量を測る機械があること。そのような光景を見て「何が正解とかはないのかもしれない」と感じました。持続可能な地球にしたい気持ちと、事故の観点から原子力発電に対して抱く気持ちは違うベクトルを持っているようにも感じました。ですが、このすっきりしないものを妥協することなく“考え続ける”ことが自分に与えられた課題なのだと思っています。

 また、一国民としては、視察後からSNSやメディア情報から受ける印象を鵜呑みにすることがなくなりました。現地で働いている人々の様子を見たり、気持ちを聞いたり、現在話題となっている処理水を自分の目で見たり。そんな視察を終えた今、ネットの記事に対しても冷静に考えられるようになりました。どうしても「怖そう」「危なそう」というような印象がついてしまうトピックスですが、それが真の意味での「復興」を妨げている一因ではないかと感じています。必要以上にマイナスな感情を抱いていないか、を多くの人が考えることは必要だと思います。

 視察を終えてもう1つ強く感じたことは「知ることの大切さ」です。今回の機会において、自分が今までいかに無知だったかよく分かりました。知らずに物事を考えることの怖さやリスク、知ることで広がる視野、そういうものを改めて学びました。私は自然環境に携わりながら多くの人に「情報を伝える」という仕事がしたくて気象キャスターを目指しています。「知ることの大切さ」を学んだ今、「伝えることの大切さ」も非常に感じています。これ以上、自然災害が起因となって重大な二次災害が起こることのないように、「伝える」という仕事で自分にできる最大限の防災をしたいと強く感じています。 


文責:和田優希





【福島第一原発を訪れて】

東日本大震災当時、私は高校1年生。地元の茨城県鹿嶋市は震度6弱の揺れに襲われましたが、幸い自宅は地盤の強い高台にあり、インフラは無事でした。

テレビをつけると、ニュースでは福島第一原発の映像。津波によりすべての電源が失われ、みるみる悪化していく状況。何が起こっているかも、何が本当なのかもわからず、ただただ不安でした。

 茨城にも放射線量が高い「ホットスポット」ができ、農水産物が基準値を超えて出荷できないなど、さまざまな影響がありました。あれから12年。ようやく、その地を訪れることができました。

 原発構内には、隣の富岡町にある東京電力廃炉資料館から、バスに乗り込んで向かいます。東京電力には「福島第一廃炉推進カンパニー」という、名前の通り福島第一原発の廃炉のためにつくられた子会社があり、そこの「リスクコミュニケーター」という肩書きを持った方たちが案内をしてくれます。

廃炉の現状についてお話を伺い、建物の窓から構内を俯瞰します。目についたのは貯水タンクの多さです。1,000基以上あるそうですが、震災前には1基もなかったことを思うと、以前はどんな景色だったのだろうかと考えました。実際、タンクを建設するために構内の木を伐採したりもしたようですが、構内の道沿いの桜の木だけは、切らずに残しておこうと決めているそうです。

 構内ではいちばん最初に、「原発事故」のすべてが始まった場所、1号機から4号機の原子炉建屋の目の前に行きました。何年も画面越しに見てきたその場所。

 1号機から4号機のそれぞれで状況が大きく異なることを目の当たりにしました。今も大きながれきが使用済燃料プールの上に覆いかぶさり、骨組みがあらわになった1号機。唯一水素爆発を起こさなかったため建屋の壁が残り、それがかえって使用済燃料の取り出しを難しくしている2号機。使用済燃料の取り出しに成功した3号機・4号機。廃炉がどこまで進んでいるのか、何が困難なのか、それをどう進めていく計画なのか、これまで「怖い」という感情が先に立っていましたが、冷静に現状を理解することができたと感じています。

 ただ冷静にみても、格納容器の底に残る燃料デブリの取り出しが相当困難なのは間違いないようでした。燃料デブリがどのような性質を持っているかもまだほとんどわかっておらず、これから巨大なロボットアームを2号機の格納容器の中に入れ、880トンあるといわれている燃料デブリのうち、まずは耳かき1杯分を回収して分析してから、取り出しの方法を検討するそうです。実際の取り出しが行えるようになるまで、かなり時間がかかると思います。

 廃炉までの道のりはまだまだ遠いですが、それでも着実に1歩1歩進んでいて、そこには作業員の方たちの懸命な努力があることが分かりました。

次に、発生した汚染水を浄化する設備「ALPS」とALPSによって処理された水を貯めるタンク、そしていま計画されている海洋放水を行うための設備を見学しました。

ALPSによって62種類もの放射性核種を取り除くことができますが、唯一取り除けないのがトリチウムです。トリチウムは水の形で存在しているためです。先日始まった海洋放出は、この処理水をトリチウムの濃度がWHOの飲料水基準未満になるまで薄めてから海洋放出するものです。

 トリチウムは事故が起きなくても常に原子力発電所から排出されていて、原子力発電所そのものを容認するなら、海洋放出も大きな問題ではないと思います。

どちらかといえば正しい知識が多くの人に広まるまで、あるいは感情的な面で、福島、ひいては三陸や茨城・千葉の水産物が風評被害に遭う社会的なリスクの方が大きく、それを避けるためのコミュニケーションはしっかりと行ってほしいと、茨城の港町で生まれた私としては感じました。

 最後にリスクコミュニケーターの方たちとディスカッション。リスクを背負って働いているにもかかわらず、社会からは常に批判の目を向けられている、廃炉の仕事。それを続けられている原動力は何か、気になって質問しました。リスクコミュニケーターのうちのお一人は、震災前から福島第一原発に勤め、原子炉のメンテナンスをされてきた方でした。その方にとって原子炉は、愛着を持って世話をしてきた、子どもたちみたいなものだったということです。それが暴走し、多くの人を不幸にしてしまった。長い間福島に住み、地元の人たちともよい関係を築いてきたのに、一瞬にしてそれが崩れてしまった。それがとても悲しかったと語っていました。だから、廃炉のために、福島を再び安心して暮らせる場所にするために努力することは、やりがいのためにすることではなく、自分の責務だと思っていると。このような思いを持って、決して社会から賞賛されることのない仕事に、日々全力で向き合っている人たちがいる。そのことに私は胸が熱くなり、自分の仕事の向き合い方についても考えさせられました。

 福島第一原発を訪れて理解したのは、一度この規模の事故を起こした原発を元に戻すことは、少なくとも今の人類の叡智では不可能だということでした。普段は恩恵を受けることができても、ひとたび制御できなくなれば、その場所に人間は住めなくなる。そのリスクを考えたとき、自分はできる限り原発に頼らないで生きていける社会をつくりたいと、改めて思いました。地域ごとに、そこに住む人たちが、自分たちの使うエネルギーを自ら選択し、自分たちの力で共同で運営する。そのプロセスを通じて地域の中にある力が育まれ、外の大きな力に頼らなくても生きていけるようになる。そんな地域を日本中に広げていきたいという決意を新たにしました。


文責:新荘直明



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