CYJでは団体内で気候変動問題について理解を深めるために勉強会を開催しています。今回は、4月下旬に行われた気候正義に焦点をあてた勉強会の第1回目の内容をお伝えできればと思います。
論点
まず初めに、「気候正義」という言葉について説明したいと思います。気候正義とは、気候変動問題の中で、正義や責任に関する問題を提起するものであり、温室効果ガスの排出源をめぐる問題や気候変動の影響被害をめぐる問題を取りあげています。例えば、温室効果ガスの排出量が多い国より排出量の少ない国の方が被害を受けること。インフラが脆弱な途上国地域や貧困層、先住民、有色人種、女性、子どもなどの社会的弱者がより被害を受けること。現在の政治にかかわることが困難な若者世代や将来世代が、温暖化の進んだ未来社会においてより大きな被害を受けることなどが気候正義論で扱う不条理の例となります。このような気候正義論が焦点をあてる問題を解決するために、責任の所在に関する3つの議論を紹介したいと思います。
1つ目は、汚染者負担原則という考えです。これは、環境の質を悪化させた者がその環境を回復させる責任を持ち、必要な費用を負担すべきという考えで、温室効果ガスの排出量が多い、先進国の人々、所得の多い富裕層、壮年・老年世代がより大きな責任を負うべきだと主張するものです。2つ目は、受益者負担原則という考えです。この考えは、ある者の行為から別の者が利益を得ているとき、その者は利益の分だけ当の行為について責任を負うべきだと主張しています。例えば、現在の先進国は、いまの「途上国」と呼ばれている地域から労働力や資源を搾取することによって発展してきたという世界システム論と呼ばれる学説が受益者負担原則の例として挙げられます。3つ目は、支払い能力アプローチと呼ばれ、問題解決能力の高い者が責任を負うべきだという考えです。1つ目と2つ目の考え方では、責任の所在を公平に問うことを重視していましたが、支払い能力アプローチは特に問題解決の有効性を重視する考えになります。以上のような3つの考え方を基に、私たちはいくつかの問いについて考えました。
話し合い
「国家を1つの行為主体として扱うことができるか」、「国の責任と個人の責任を結び付けられるか」、「気候危機を止める能力をもつ主体はどこ?」という問いについて話し合いましたが、本稿では気候危機を止める能力をもつ主体について出てきた意見を少しだけ紹介しようと思います。先進国の政府、富裕層、壮年・高齢層、若者の4つの主体に分けて考えたところ、20世紀後半から地球温暖化について言及されていたにもかかわらず、最近になって気候変動対策が進みだした理由は、資産を運用できる富裕層が気候変動対策に身を乗り出したからこそだという意見が出てきたり、それぞれの主体が関係しあって、最終的には先進国の政府が気候危機を止めるという流れになるといった意見も出てきたりしました。
まとめ
今回は、気候正義勉強会の第1回目ということもあり、気候正義論のさわりの内容を紹介しましたが、みなさんは問いについてどのように考えますか?私は今回の勉強会を通して、気候変動問題は科学的な問題にとどまらず、倫理や哲学の問題も関わっているということを改めて認識しました。次回はどんな内容について話し合うのでしょうか?
文責:山本(峻也)
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